100th
Anniversary

2019年、中日本メディカル
創立100周年を迎えました

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全てはこの松本の地から始まりました

大正8年
創業者中島次太郎が、地元医師からのすすめが後押しとなり、松本市に中島尚誠堂を開業。
第一次大戦後で医薬品と器械の輸入が途絶し混乱を来す中、地元医師からの依頼になんとか応えようと動き回る日々が続いた。
大正13年
松本市中町に店舗を新築し移転。
以後43年間、中町を拠点とし営業活動を行う。
昭和2年
松本平で最初の総合病院であり、現在の信州大学附属病院の母体である松本市営病院が開設。 その後、長野県内の各地で新生療養所が相次いで誕生した。
昭和12年
日華事変が始まると、県内にも傷痍軍人療養所が設立。県内療養所への医療器機納入は本省より中島尚誠堂に任された。
中島尚誠堂では、非常時下こそ医療器械は重要と判断し、商品などを疎開させて対応する。
昭和16年
第二次世界大戦が始まる。
昭和19年
不足する軍医の補充のため、松本に松本医学専門学校が開設、松本市立病院はその付属病院となった。
戦争が長引く中、中央のメーカーは軍部に優先納入する為、民間での供給が不足。全国で増設した傷痍軍人療養所も、東京だけでは器械が不足した。
地方の業者にも協力を求められ、中島尚誠堂は栃木や埼玉の療養所や医学専門学校への納入も行った。
また、東京・名古屋の医療器械業者が被災し、医療器械の調達が困難となった軍需工場の勤労者の為の病院への医療器械調達も引き受けた。
戦後
日本政府は連合軍政府の趣旨に従い、返還された医療器械は、日本医科器械組合連合会を通じて全国に配給。
長野県配給代行人に指名された中島次太郎は県内に分散していた医療器械を松本市に集め、2年間にわたり各都市医師会に配給を続けた。
昭和26年
6月21日、70万円の資本金で「有限会社中島尚誠堂」が誕生。
このとき代表取締役に就任した中島次太郎は
「医療器械は、戦前はドイツ医学によって進歩してきたが、戦後はアメリカ医学の流入により電気を使用した器械が多くなり、メディカル・エレクトロニクス時代を迎える。
従って業者は器械の保守安全、つまりアフターサービスをすることが重要になってきている」と唱えた。
昭和30年代
メディカル・エレクトロニクスという言葉が市民権を得て、電子光学と医学の融合による、新しい医療器械が数多く考案される。
昭和33年
このような時代背景の中、中島尚誠堂も新しい体制を取り始め、昭和33年には心電図技術部を新設。 地元医療関連紙にも紹介された。
昭和42年
10月、現在の本社が完成。
また、昭和45年には長野県北部のサービス体制を強化するべく長野営業所を開設。
昭和49年には福祉機器部門を「尚誠堂福祉機器有限会社」として分離・独立、サービスの向上を図った。
新社屋新築以来、社業は順風満帆に進むかに見えたが、業界が活況を帯び、需要が供給を上回る時代が続き苦しい時を迎えた。
外部からの経営指導を受けたり、業界としては導入事例が少なかったオフコンの導入など行い、経営の立て直しを行った。
2月に名古屋で伸和医理科設備株式会社が創業。
昭和48年
翌年9月には松本市に営業所を設立。
昭和49年
12月には、松本営業所が独立し、株式会社伸和医理科を設立。
昭和51年
松本市に新社屋を設立し移転。
昭和58年
平成2年
平成に入り経営の立て直しは順調に進んでいった。平成2年には丸の内の社屋を増築。
平成3年
南信州営業所を開設。
平成4年
東信営業所を開設。
平成6年
南信営業所を新築移転し伊那営業所とし、補聴器販売も開始した。
売上数字達成記念として、社員全員で香港旅行を楽しんだ。
平成8年
平成10年
株式会社中島尚誠堂と株式会社伸和医理科が合併し、中日本メディカルリンク株式会社と社名・組織変更を行い、新たなスタートを切る。
当時、業務提携するディーラーはあったが、合併を行う会社は全国的にも例はなく、より地域に根ざし信頼されるディーラーを目指し、105名でスタートした。
松本本社、長野営業所、伊那営業所、佐久営業所、浅間分室の5拠点で、オリンパスグループ、整形、循環器、開業、放射線、救急の6部署を置いた。
同10月には商品管理センターを開設。
平成11年
松本本社、浅間分室、物流拠点を統合し、安曇野市へ本社を移転。
平成18年
長野営業所を新築移転。
平成19年
荒木信明(現代表取締役)が社長に就任。
平成23年
「セイエイ・エル・サンテ・ホールディング株式会社」に参画する。

100th
Anniversary

時代は平成から令和へ。
当社も皆様のおかげで100周年を迎えることとなりました。

次の100年の為に、私たちが出来ること。
それは、地域の人々を見守り、健康を保つ為、日々仕事に励み、つつましやかに精一杯努力すること。
そしてともに手を取り合うメーカーの皆様や我々が安心して事業を継続できるよう、努力すること。
三方全てが良しとなり、その結果、地域医療・介護の発展、地域経済への発展となるよう努力すること。

信州の地から、皆様と共に、これからも末永いお付き合いを宜しくお願いします。